不安!!

radical-do2006-08-04

 考えなきゃどうでもいいことなんだろうけど、
昔からよく考えることがある。
「俺達が生きているこの世界は何なのか」ということ。

今は宇宙の始まり(ビッグバン)から宇宙の果てまで、理論上で解明(?)できるようになったが、宇宙なんて月以外は誰も行っていないわけで(月にホントに行ったかもあやしい)、基本的にはわからないし、将来も、観測上、もしくは机上の論以外でわかることはないだろう。
 例えば宇宙はビッグバンから始まり、今160億年経っているという説がある。しかし、そのことがわかるには、その説を導き出すことができる知的生命体が生まれたからで、つまり人間が宇宙を観測できるようにならない限り、宇宙の歴史、ましては人間の歴史は全て無かったことになる。人間が生まれて観測できてはじめて宇宙の歴史が存在するということになる。
 俺はこれまで世界が存在するから、人間も存在すると考えてきた。しかし、前述の考えからいうと、人間が認識するからこそ、世界が存在するということになる。ということはだ。宇宙や我々の世界は全てが人間の都合のいい解釈によって成り立っているということになりはしないか。大命題として宇宙とその世界の存在が予めあって、その歴史の流れの中で必然的に人間が登場し、観測することによって宇宙とその世界を捉えたのか、それとも、人間が、知性を持った段階から、宇宙とその世界を観測することによって、宇宙とその世界を規定(創造)してきたのか。歴史を見ても明らかなように、人間は自分たちの都合の良いように観測結果を導き出している。宇宙とその世界を現在のようなかたちにしたのは、他ならぬ人間である。そう考えると、これまで人間は創造主として様々な神を創ってきたが、実は人間自身が神といえるのではないだろうか。

 とりあえず、今は、人間が認識するからこそ、世界が存在すると考えよう。

 こんなことをとりとめもなく、仕事もせずに考えていると、とっても不安である。我々の生きている世界も不確定だから。死後の世界はどうなるか。人間は死んだら無である。今考えている自分も、自分を取り巻く世界も、全て無となってしまうのだ。だから死は恐ろしい。本来、人間はそう考えることにとても不安や恐怖を感じる。だから、霊だの、死後の世界だの、三途の川や天国や地獄だの、と死の不安を和らげるために宗教を生み出してきたのだろう。

 無は恐ろしい、不安だ。若いころ、こんなことばかり考えてきた。考えすぎってことはないけど、環境や職場のストレスもあって、5年ほど前に不安神経症パニック障害)&ウツ病を患った。通勤の西武線車内で倒れてから、今も月に1回、地元の病院の精神神経科に通い、レキソタン(それも5ミリグラムの最強のやつ)などの抗不安剤をたくさん(!)処方されている。最近ではほぼ完治に近いが、毎日の日課としてクスリを飲むことは欠かせない。西武線車内で倒れたことがトラウマになって、今でも各駅停車はいいが、急行に乗るのは躊躇する(すぐに降りれないため)。仕事柄、人に会うことが多いため、そんなときはパニック回避のために、会う30分前にクスリを飲むことは欠かせないのが現実だ(カミングアウトしちまった)。今ではクスリのおかげで減ったが、不安が高じたときはホントに苦しい。恐怖と不安で今すぐ自分は死ぬのではないかと思うほどだ。医者に直るかと聞くと、完治は難しいという。多分一生、クスリと付き合っていかなければならないだろうが、こうした病気になったのも一種のオレの個性だと考えて納得するようにしている。

まあ、そんなこんなでいろいろあったが、やはり考えることは止めたくない。ジジイになっても。現状で満足することなく、宇宙や我々の生きている世界の真理を追究したい。好奇心や探求心を無くしたり、不安や恐怖から宗教やイデオロギーに依存することは、オレにとっては死んだも同然だ。

世界の様々な思想や哲学、ゲージュツに接して、もっともっと自分なりに考えていきたい、と思う今日この頃でした。