死ぬなよ。

radical-do2007-02-16

ガキンチョの自殺テロもほとぼりが冷めたところで、
突然ですが、オレが考える自殺について。。。


まず、「自殺はいけない。生きてればいいこともある」なんてのは、くだらない宗教の教義と同様、お話しにならない。
結論をいうと、自殺について善悪の価値観を持ち込むこと自体が間違っているということだ。

人間の進化の過程には「細胞の自殺」というのがある。
胎児は母親の胎内にいる初期の頃には、手に水かきがあるのだが、成長するに従って水かきの細胞が「必要ない」と勝手に判断して、自ら死んでいく。脳だって、初期の胎児の脳は必要以上に大きいが、成長するに従って、「いらない」と判断した一部の細胞が自ら死んでいく。

このことは面白いことに社会にそのまんま当てはまる。
リストラなどで会社から「必要ない」と判断された中高年が死んでいくのに似ている。いじめも一緒。いじめられて「このクラスに居場所はない」と思い込んだガキンチョが死んでいく。
つまり、人間は自分がこの社会で必要のない存在だと認識したときに、脳が何らかの判断を下して、死にたくなるということだろう。
(だから自殺を食い止めるには、あなたはまだ社会の役に立っているのですよ、この社会にまだいてもいいのですよと認識させることが有効)
人間は社会的存在なので、社会から不必要とされた人間が死にたくなるのはある意味仕方ないことだろうということだ。
これも社会の、自然の摂理だね〜


一方で、北欧当たりのリベラリストが主張する自殺の自由を完全に認めろという論調にも反対だ。そんなに簡単なもんじゃないだろうと思うからだ。
人間は生きている限り、あらゆる「しがらみ」から逃れられない運命にあり、その「しがらみ」を絶って生きることは不可能。
前に「死にたきゃ勝手に死ね、ただ人に迷惑かけずに」と書いたが、迷惑かけずに死ぬことなんて、社会に生きている限り不可能に近い。電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたりすれば、その所有者や遺体を処理する人たちに迷惑がかかるし、ヘタすると身内は莫大な補償金を支払う羽目になる。どんなに嫌われていた奴でも、死ねばどこかに悲しむ人はいるだろうし、死んだことで迷惑がかかる人もいるかもしれない。そういう「しがらみ」を完全に絶つことができるのであれば死ぬのは人間の究極の自由だ。


従って〜今、言えるのは、、、
自殺は悪いとは言えないが、例えば身内や友人・知人などが死にそうになれば、やっぱり悲しいので、確実に止めるだろうということ。それだけだ。


もうひとつ。「生きていることに感謝」なんて言ってるどうしようもなくおつむの悪そうなイタ〜い奴もご勘弁だな。