CONTROL

午前中、会社さぼって「CONTROL」(http://control-movie.jp/indexp.html)を観た。
会場は、オレを含めて3人。ほぼ貸し切り状態。


「存在。それが何だというんだ。僕は精一杯、存在している」



ジョイ・ディヴィジョンに出会って20年が過ぎる。
浪人の引きこもり時代、6畳一間の下宿で、
レコードプレーヤーに乗っていたのは、常にジョイ・ディヴィジョンの3枚のアルバムのいずれかだったっけ。



映画は、まあ面白かった。
演じているとはいえ、ライブシーンなどは素晴らしく、独特のモンキーダンスもイアンそのものだった。
でも、それはオレがジョイ・ディヴィジョンの大ファンだから、ということもある。

そんなオレは、これまでイアン・カーチスの自裁は、ある種、哲学的な死だと思い込み、イアンを神格化している部分もあったが、
この映画と、この映画の原作となった奥さんのデボラの著書をみると、
意外と、女にだらしなく、病気に立ち向かう力も無い、どうしようもなく情けない弱っちい青年だったのかもしれない。
まあ、それも人間臭くていいが。

もっともっと暗くイアンが自殺に至るまでの道程を描いてほしかったような気もする。
オレがジョイ・ディヴィジョンの音楽に感じるのは、限りなく救いようのない絶望である。
非日常(狂気)を内に秘めつつ、日常を生きようとすることの矛盾の物語である。
矛盾の行き着く果ては、残念だが、やはり死しかない。
そして、死の向こうは、あくまで無でしかないということを教えてくれる。


普段、日常に流されていると、そんな命題も忘れてしまうが、
彼らの音楽に触れると、イヤというほど気付かせられる。。。