死刑を廃止し、仇討ちを認めよ!

オレは、こう見えても(どう見えても?)死刑廃止論者である。


先進国では死刑を廃止している国が多いというのに、なぜ日本は死刑を残しているのだろう。
多分、オレが考えるに、死刑を存続している理由は、3つある。
まずは、死刑には絶対的犯罪抑止力があるということ。
次に、被害者や遺族の感情を考えると、極刑をもって臨むしかない。。。という考え。
もうひとつが、人を殺めた者は、命をもって償えということだ。

まず、犯罪抑止力だが、データ的に見ても、死刑を廃止したからといって犯罪が増えたという統計はないはず。
逆に死刑があるのに、犯罪が多いということもある。だから、死刑には絶対的犯罪抑止力があるといえない。


続いて、被害者や遺族の感情であるが、日本では死刑執行は必ず秘密裏に行われる。毎回、執行されてから明らかになる。
当然、執行に遺族が同意したり、見物したりできる訳でもなく、
遺族の意志には全く関係がなく執行される。もとより被害者なんて、死んでしまっているわけだから、これも関係ない。
従って、死刑執行は被害者や遺族の感情とは何の因果関係もない。


最後の、命をもって償えということは、「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の世界である。
つまり復讐の論理ということ。近・現代の刑法の考え方は、復讐よりも、再教育・更生にある訳だから、これも時代に反したそぐわない考えといえる。

以上の理由をもって、オレは死刑には反対である。


対国家権力という視点からみると、死刑制度は、国家が「いざとなったら殺すぞ」という脅しみたいなもんで、
国民を押さえつけている究極の制度だな。




で、今回の光市母子殺害事件はどうか。
どうも、オレにはこの被害者の夫が、絶滅サヨクプロ市民のようにうさん臭く感じる。
それは、彼の後ろに「社会正義」が見え隠れするからだ。
「オレには社会正義も法律も関係ない!ただ復讐したいだけだ!殺したいだけだ!」と感情的に言ってしまった方が、
多分、好感が持てるんじゃないか。

死刑制度の存置を望みながら、一方で、いびつな人権意識が肥大化している。
そこに、変な矛盾が起こり、収拾がつかなくなって来ている、これが今の日本の現実だろう。
こんなんで裁判員制度なんて導入して大丈夫なのか?ったく。


まあ、オレも正直言えば、「こんなゴミ、というか人間の失敗作、さっさと殺しちまえ!空気のムダだ!更生なんかする必要なし!」と思うのだが。



確か、呉智英氏だったと思うが、「死刑を廃止し、仇討ちを認めよ」と書いていた。
基本的には、オレも賛成。被害者や遺族感情を考慮するなら、これが一番の方法だろうよ。
また、死刑は廃止して、逆に軽い犯罪に重刑を科せばよい。例えば、万引きしたら、腕を切り取る、詐欺を働いたら、おでこに「サギ」と入れ墨する、金を盗んだら、時給1円で盗んだ金を完全に返済するまで牢屋から出さない、とかね。
そうすりゃ、ホントに犯罪は減ると思うね。万引きで腕一本無くなるなんてイヤだもんね。
それで、ひとりでも殺したら絶対に刑務所から出さない。終身刑ということ。
とくに、殺人は人間の根源的なことに関わる究極の行為だから、人間解明の研究対象にするために生かしておいた方が良い。



もし、オレが法務大臣だったら、死刑廃止のためにとりあえずリセット。
政治犯を除いて、今の死刑囚は全員さっさと処刑するね。
廃止はそれからだ。