暴力とは

radical-do2008-06-12

暴力に良い悪いも無い。崇高も野蛮も無い。暴力は暴力でしかない。

だけど、オレは暴力にものすごい引かれるし、魅力を感じる。
なぜなら健全な人間だから。
暴力を体現している軍隊や武器も大好きだ。
サイパンやグアムでマグナムからマシンガンまでぶっ放したが、
状況が状況なら、人を撃ってみたいし、キライな奴を躊躇せず撃つ自信もある。

人間には暴力が不可欠である、
暴力をふるえば、もはや人間でないのではなく、
暴力を無くしたら、もはや人間ではないのである。

サル山のボスも多分、小競り合いのケンカを止める、もっと大きな暴力を発揮できるのであろう。

歴史も世界も、人間の歴史は暴力の歴史である。
暴力の連鎖は憎しみしか産まない、多分そうだろう。
しかし、それでも人間には暴力が必要なのである。

憎しみの連鎖が、果たして話し合いで止まるか?
連鎖を止めるのは、結局、もっと大きな権力=暴力である。
話しても、わからない奴は、絶対にわからないよ。
わからせるためには、やっぱり強大な暴力なのである。

世界の紛争地帯の民族・宗教の争いなんて、
核爆弾一個落として終わりである(地球が滅亡しない程度に)。


戦争が、争いが無い世界。そんなものはない。
貧富の差があり、戦争があり、暴力があるからこそ、この世界は面白い。
世界が平等で、戦争で人が死ななければ、発展途上国が先進国並みのレベルになったとしたら、あっという間に、資源は底をつき、地球環境は汚れ、地球そのものが亡くなってしまうだろう。
中国人民が皆裕福になったら、ユニクロも百円ショップも無いぞ、多分。

粛正、テロ、内ゲバ、政治闘争なのだから、暴力はあって当然だろう。
非暴力・平和・反戦なんてのは、大衆を納得させるための方便に使えば良い。
連赤の仲間殺しくらいでヘタレてんじゃねーよ。
革命起こそうってんだから、組織の中での権力闘争なんだから、
そりゃ場合によっては殺し合いもあるだろうよ。
団塊サヨクってのバカばっかだな。早く死ね。


ヘタレで気の小さいオレは、当然つまらない暴力に巻き込まれたくないし、
なるべく暴力を避ける。守らなきゃいけないものもあるし。
でも、オレが言いたいのはそんな次元のことではない。

ホントは今日のイベントで熱く語りたがったが、ヘタレで気の小さいオレは皆の前で発言できないのでここに書きます。