知覧特攻平和会館

radical-do2009-01-14

正月休みに鹿児島・南九州市知覧特攻平和会館に行った。

表には、戦闘機や銅像、兵舎があり、中には特攻隊の遺影や遺品、記録等の資料を収集し、展示してある。

最初から最後まで、すさまじいほどの遺書、遺品の数々。

入り口からひとつひとつ丁寧に読んでいたが、だんだん面倒くさくなって眺めて通り過ぎるだけに。

ほとんど書いてあることは同じだし。

ただ、「天皇陛下万歳」でも、「お母さん、先立つ不孝をお許しください」でもいいが、

展示してある遺書のなかには、死ぬ前に女と一発やりたい!などという言葉がないのにがっかりした。

もっと人間臭い遺書を書いても良いだろうに。

特攻隊の青年たちには、慰安婦は与えられなかったのだろうか。



遺書を読んでて思ったが、当時の(多分現代も)日本を表す言葉は「寛容」と「従順」だな。

一緒に行った弟が「誰かがもう止めようと言ってたらどうなったかな?」と言ったが、

もちろんそんなことを言える雰囲気ではなかったことはわかるが、

当時は全国民総マゾヒズム状態だったのだろう。

日本の歴史は、外の文化を取り入れて自国のものにすることの連続である。

それで、国民は権力者の言うことにとても従順。

一揆だって権力者を倒すのではなく、お上にお伺いを立てるということだしね。



オレは、男の究極の美学は「大義に殉じる」ことだと思っているので、

彼らの気持ちがわからんではない。

確かに死は怖いが、それを超えるナルシズムで自分を鼓舞できると思う。

まあ、思想信条はどうであれ、オレは特攻隊は好きだ。



特攻平和会館の主旨は「当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与する」とあるが、

靖国遊就館などと同様、日本人の日本という意識(日本精神)を鼓舞するための場所だなと実感した。

ハワイ・真珠湾のメモリアルホールを思い出した。




特攻隊員が出撃の前に泊まったという富屋食堂と特攻おばさん・トメさん弁当。