知覧特攻平和会館
表には、戦闘機や銅像、兵舎があり、中には特攻隊の遺影や遺品、記録等の資料を収集し、展示してある。
最初から最後まで、すさまじいほどの遺書、遺品の数々。
入り口からひとつひとつ丁寧に読んでいたが、だんだん面倒くさくなって眺めて通り過ぎるだけに。
ほとんど書いてあることは同じだし。
ただ、「天皇陛下万歳」でも、「お母さん、先立つ不孝をお許しください」でもいいが、
展示してある遺書のなかには、死ぬ前に女と一発やりたい!などという言葉がないのにがっかりした。
もっと人間臭い遺書を書いても良いだろうに。
特攻隊の青年たちには、慰安婦は与えられなかったのだろうか。
遺書を読んでて思ったが、当時の(多分現代も)日本を表す言葉は「寛容」と「従順」だな。
一緒に行った弟が「誰かがもう止めようと言ってたらどうなったかな?」と言ったが、
もちろんそんなことを言える雰囲気ではなかったことはわかるが、
当時は全国民総マゾヒズム状態だったのだろう。
日本の歴史は、外の文化を取り入れて自国のものにすることの連続である。
それで、国民は権力者の言うことにとても従順。
一揆だって権力者を倒すのではなく、お上にお伺いを立てるということだしね。
オレは、男の究極の美学は「大義に殉じる」ことだと思っているので、
彼らの気持ちがわからんではない。
確かに死は怖いが、それを超えるナルシズムで自分を鼓舞できると思う。
まあ、思想信条はどうであれ、オレは特攻隊は好きだ。
特攻平和会館の主旨は「当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与する」とあるが、
靖国の遊就館などと同様、日本人の日本という意識(日本精神)を鼓舞するための場所だなと実感した。
ハワイ・真珠湾のメモリアルホールを思い出した。